亡くなっていく人たちへ

高齢者の賃貸や見守りをしていると、必ずやって来るのが死。

私は成年後見をしている法人の支援員も行っているのですが、支援している人が4人立て続けに亡くなり、やるせない気持ちになりました。

加えて去年と今年に身内二人と入居者が亡くなりました。

ドラマで印象的な言葉があります。

懐かしい「セカチュー」のセリフですが

白血病の主人公の少女が

「先生、私は何のために死ぬんでしょうか。」(生きてきたのでしょうか。ではない)

担任の先生「それは…残された人が決めるんじゃないかな。」

そうなのか。深いな。

いまだににそのセリフの意味を模索して

亡くなっていった人たちを思います。

紫のきれいな髪のBさん

脳腫瘍でだんだんわからなくなっていったかわいいFさん

事故で脳幹損傷し寝たきりのSさん

私は喪服を着て冥福をお祈りしますが、涙を流したことはないです。

だって関わって楽しかったことの方が多いから。もう会えないのは悲しいけど、楽しかったよ。と言って送ってあげたい。

そして、自分の中にバリアを作ることが自分を守ることになっていると思います。

悲しいけど、ありがとうね。と思いながらいつもさようならしています。

ごめんね涙出ないよ

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